沿革
1995年 | 10月 | 予防医学に基づく新たな医療サービスの提供を目的として、東京都港区西新橋に株式会社メディネット(資本金1,000万円)を設立 |
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1999年 | 4月 | 東京都世田谷区瀬田に分子免疫学研究所を開設、瀬田クリニック向けに細胞加工施設(瀬田CPC)を設置し、免疫細胞療法総合支援サービスを開始 |
2000年 | 12月 | 東京都港区新橋に本社を移転 |
2001年 | 8月 | 厚生労働省による新事業創出促進法に基づく「新事業分野開拓の実施に関する計画」の認定 |
10月 | 横浜市港北区新横浜に本社を移転、新横浜メディカルクリニック(現瀬田クリニック新横浜)向けに細胞加工施設(新横浜CPC1)を設置し、免疫細胞療法総合支援サービスを開始 | |
2002年 | 4月 | 神奈川県横浜市港北区に先端医学研究所を開設 |
7月 | 新横浜メディカルクリニック(現瀬田クリニック新横浜)向けに細胞加工施設(新横浜CPC2)を増設 | |
2003年 | 5月 | 東京都世田谷区玉川台に研究開発センターを新設、分子免疫学研究所と先端医学研究所を同センター内に移転すると共に、先端医学研究所を「分子遺伝学研究所」に改称 |
6月 | 大阪府吹田市江坂町に大阪事業所を開設、かとう緑地公園クリニック(現瀬田クリニック大阪)向けに細胞加工施設(大阪CPC)を設置し、免疫細胞療法総合支援サービスを開始 | |
10月 | 福岡県福岡市博多区に福岡事業所を開設、福岡メディカルクリニック(現瀬田クリニック福岡)向けに細胞加工施設(福岡CPC)を設置し、免疫細胞療法総合支援サービスを開始 | |
東京証券取引所マザーズ市場へ株式を上場(2003年10月8日付) | ||
2004年 | 3月 | 細胞医療支援事業においてISO9001の認証を取得 |
5月 | 「分子免疫学研究所」と「分子遺伝学研究所」を統合し、研究開発センターの名称を「先端医科学研究所」に改称 | |
8月 | 日本初の治療用がん組織保管サービスである「自己がん細胞バンク」サービスを開始 | |
2007年 | 2月 | 東京大学医学部附属病院の22世紀医療センター内に開設された「免疫細胞治療学講座(免疫細胞治療部門)」向けに細胞加工施設(東大22世紀医療センターCPC)を設置し、免疫細胞療法総合支援サービスを開始 |
6月 | 独立行政法人国立病院機構大阪医療センターと同センターにおける免疫細胞療法の実施に対する技術支援を行うライセンス契約を締結 | |
11月 | 研究開発施設を東京都世田谷区の先端医科学研究所に統合し、名称を「研究開発センター」に改称 | |
2008年 | 1月 | 株式会社医業経営研究所を設立(現・連結子会社) |
2011年 | 7月 | 九州大学先端医療イノベーションセンター向けに免疫細胞療法総合支援サービスを開始 |
2012年 | 4月 | 九州大学先端医療イノベーションセンターに共同研究部門「先進細胞治療学研究部門」を設置 |
7月 | 東大病院が実施する第3項先進医療(高度医療)に係る一部業務を受託 | |
11月 | NK細胞療法技術の提供開始 | |
2013年 | 12月 | 新規事業「細胞医療製品事業」に取り組む子会社「株式会社メドセル」設立(現・連結子会社)
新規事業「細胞加工業」の拡大を目指し、東京都品川区に再生・細胞医療用の細胞培養加工施設(品川CPF)を設置 |
2015年 | 5月 | 品川CPFの特定細胞加工物製造許可を取得 |
2016年 | 6月 | 東京都世田谷区の研究開発機能を本社に全面移転 |